1936年

ハンガリーで誕生。

 

1956年

 ハンガリー動乱(ロシアがハンガリーを侵略)により家族と引き離されグローブはオーストリアに亡命し、翌年、難民支援組織の手を借りてアメリカに渡る。

 

1960年

アメリカ移住後、英語を学びながら学費のいらないニューヨーク市立大学に通い、化学工学のコースを首席で卒業。

 

1963年

ハングリー精神、そして奨学金のおかげでカリフォルニア大学バークレー校に進学し博士号を取得。

 

1964年

卒業後、フェアチャイルド・セミコンダクター社(半導体メーカー)に就職。

 

1968年

フェアチャイルド・セミコンダクター社のゴードン・ムーアとロバート・ノイスが会社を辞め、新しくインテルを設立し、グローブを引き抜く。

 

インテルは当初、半導体技術を応用した新型コンピュータメモリを開発し実用化を目指していた。

 

1970年

インテルがメモリチップ1103を発表。

それまでのコンピュータの記憶装置よりはるかに集積度が高く多大なる情報を記憶することができた。

 

1970年代後半

次々と質の高いコンピュータメモリを想像し、メモリ市場で最大手だったインテルだが、多くのライバル社の参入によりその地位を維持するのが困難になる。

 

1979年

この頃、日本企業がメモリ市場に本格的に参入し、征服。

 

社長に昇進したグローブは日本企業に対抗するために社員の業務時間を二時間延長し、生産性を上げた。

 

1980年代初頭

コンピュータメモリより1970年代より開発を進めていたマイクロプロセッサ(コンピュータの基本的な処理機能を担う部品)を手がけたほうが自社の躍進に有利な時代になり、アンドリュー・グローブはインテルをマイクロプロセッサメインの会社に切り替える決断を下す。

 

1980年代半ば

CMで有名な「インテル、入ってる?」のキャンペーンで消費者の欲求をあおり、自社製品のブランド化に成功。舞台裏にあったマイクロプロセッサが表舞台に登場し、人気商品に。

 

1985年

新型マイクロプロセッサ「インテル80386」を発表、市場を独占する。

当時、ニューヨークタイムズ紙で「アメリカで最も利益率の高い独占の一つ」と評される。

 

1986年

CEO(最高経営責任者)に就任。

 

1989年

「インテル80386」の後継モデル「インテル486」を発表し、これによって世界の半導体メーカーのトップになる。

 

1994年

当時の主要製品、ペンティアムに欠陥が見つかり、この欠陥は一般人には認識できないような、小さな問題に過ぎなかったが、これによる会社のイメージダウンを防ぐために大量の欠陥プロセッサの交換を実行し47500万ドルという莫大なコストをかけたものの、インテルのブランドの名声は保つことに成功。その後利益は増加。

 

1998年

CEOを退任。

 

彼のCEO時代、インテルの株は24倍にまで大きくなっていたといわれている。

 

2016年

79歳で死去。

 


 参考文献

「アメリカン・ドリームの軌跡」HW・ブランズ著 英治出版

参考URL

http://nakusou.zatunen.com/andrewgrove.html

http://diamond.jp/articles/-/3791