1974年

兵庫県(ひょうごけん)生まれた

 

この時代(じだい)は少しでも頭のいい学校に行こうとしていた時代。国光(くにみつ)さんも小学(しょうがく)三年生(さんねんせい)から(じゅく)にかよっていた。

 

1991年

高校(こうこう)卒業(そつぎょう)した(あと)、大学の受験(じゅけん)失敗(しっぱい)してしまい、新聞(しんぶん)配達(はいたつ)アルバイト(あるばいと)をしながら、受験(じゅけん)の再チャレンジのために勉強(べんきょう)していた。

 

1995年

阪神(はんしん)淡路(あわじ)震災(だいしんさい)体験(たいけん)した。その後(そのご)自分(じぶん)変える(かえる)ために、一人(ひとり)中国(ちゅうごく)にいき、中国(ちゅうごく)にある大学(だいがく)入学(にゅうがく)した。

 

2000年

大学(だいがく)辞めた(やめた)(あと)は、中国(ちゅうごく)北米(ほくべい)などの、(やく)30(30)か国(かこく)(たび)して、2000年、アメリカにある大学に入った。

 

もともと、「30(30)(さい)までは好き(すき)生きよう(いきよう)」と考えて(かんがえて)いた。大学(だいがく)生活(せいかつ)楽しんで(たのしんで)いた。

 

2003年

日本人(にほんじん)留学生(りゅうがくせい)はいっぱいいたが、あまり仲良く(なかよく)していなかったのを見て(みて)、「日本人(にほんじん)同士(どうし)もっと協力(きょうりょく)しないと、海外(かいがい)勝てない(かてない)考えて(かんがえて)いた。

 

そう思いながら(おもいながら)あるNPO団体で活動(かつどう)していたら、フジテレビの有名(ゆうめい)なプロヂューサーからお誘い(おさそい)があった。

 

2004年

株式会社アットムービーにはいった。

 

(いま)までになかった、映画(えいが)、ドラマのプロデュースなど、新しい(あたらしい)ことをやり始めた。

 

2006年

ニコニコ動画が大ブレイクし、とても悔しい(くやしい)思い(おもい)をした。

 

しかし、やる気も上がった。

 

そんなある日、「ツイッター」のことを知って(しって)、また新しくアイデアを思いつき(おもいつき)起業(きぎょう)を考えた。

 

2007年

アットムービーをやめ、株式(かぶしき)会社(がいしゃ)gumi(gumi)をつくった。

 

その後(そのご)、たくさんのアプリなどを生み出して(うみだして)世界(せかい)挑戦(ちょうせん)している

 


(参考文献)

 ・『ドリームゲストスペシャルインタビュー 第142回 株式会社gumi 代表取締役  国光宏尚』

  http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=1215 (2017/8/23アクセス)