1874年

アメリカ、ニューヨーク州キャンベルで誕生。  

 

1891年

1年間学校で経理とビジネスを学び、1891年にその学校を退学すると、商店で簿記係として働くようになる。

 

1892年

セールスマンとして数年働いた後、精肉店を開業したが、すぐに失敗し、ワトソンは金も職もない状況となった。

 

1896年

ナショナル・キャッシュ・レジスター社(NCR)に入社。

入社当初ワトソンは結果を出すことができなかったが、顧客の意見をよく聞き、セールスについて勉強するなど努力を重ね、地方回りでいい成績を上げた彼は営業不振の営業所のマネージャに任命され、そこで記録的な売り上げを達成することに成功。

 

1903年

会社から極秘の依頼を受け、当時、NCRの事業拡大を妨げていた中古販売業者を一掃するために表面上は独立したダミーの会社を設立し、不正な業務を行う。

 

1907年

NCRの中古販売事業の責任者に昇進。

 

1910年

会社に恨みを抱いた元社員によりNCRの不正が暴露され、ワトソンも経営者と共に訴えられるが、その年にすさまじい嵐がオハイオを襲い、この混乱をチャンスととらえ、会社を上げて市民の救助、支援を行い、国民的英雄になり、刑務所に入れられずに済んだ。

 

1914年

優秀な社員であったワトソンが自分の地位を脅かすのではないかと考えた経営者がワトソンをクビにする。

 

1915年

会社をクビになった後、事務用品等を製造、販売するコンピュータ・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー(CTR)に就職、ゼネラルマネージャーの地位に就く。

 

1915年には社長に昇進。

 

1917年

ワトソンはNCRで培ったセールスマンとしての技術をCTRの社員に身につけさせ、1914年から1917年の間に会社の利益を倍増させることに成功。

  

1921年

戦後不況の影響で会社の利益が激減するも研究費の削減、社員の賃金カットなどにより不景気を乗り切る。

 

1924年

社名をインターナショナル・ビジネス・マシーンズ社(IBM)に変更。

 

IBMは扱う事務用品を数種類に限定。

 

1931年~

1931年から経済不況で総収益が300万ドル近く落ち込むもルーズベルト大統領のニューディール政策のおかげで政府と仕事の契約を結ぶことにつながり、1940年までに収益を倍増させ、1940年には全米一の事務機器メーカーに成長。

 

1949年

IBMの名誉会長に就任。同年、息子トーマス・ワトソン・ジュニアは副社長に就任。

 

1950年

朝鮮戦争が勃発すると、早くから電子計算機の可能性を確信していた息子の進言もあり、IBMは「IBM700シリーズ」を開発。

 

1956年

息子を社長に任命し、翌月、82歳で死去。


 参考文献

「アメリカン・ドリームの軌跡」HW・ブランズ著 英治出版