1837年

アメリカ、コネチカット州ハートフォードに誕生。

 

実業家の家庭で成長。子供のころから商才を示しており、父親の会社の帳簿を見て遊んでいた。

 

その後、父親の事業の影響でロンドンに転居しモルガンはスイスの寄宿学校に通った。

 

1850年代後半

ドイツの数学で名高いゲッティンゲン大学へ進学。

 

教授に学課を修了したら助手にならないかと誘われるほど優秀な学生であった。

 

1857年

ウォール街のダンカン・シャーマン商会で働き始める。

 

出張先で買い手を探しているコーヒー豆の積荷を見つけ、本社に許可を得ずに取引をし、かなりの利益を出すなど、働き始めてすぐに顧客のニーズに応える洞察力と大胆な行動力を見せる。

 

1861年

南北戦争が勃発すると、ここがビジネスチャンスだと考え、会社を辞め、1862に自らJP・モルガン商会(金融会社)を設立。軍需景気により成功。

 

1871年

ドレクセル商会と手を結び、新しくドレクセル・モルガン商会を設立。

 

1870年代

1870年から80年にかけてアメリカにおいて全国的に鉄道網が建設。これに乗じてモルガンは鉄道会社と投資家を仲介し、大きな利益を上げる。

 

1880年

モルガンは取引相手の企業の業界(とりわけ鉄道業界)すべてについてよく勉強し、その知識はもともとその業界で生計を立てている人よりも詳しく、1880年までにはアメリカにおける鉄道会社の相談役としての役割を果たすようになっていた。

 

1893年

恐慌の影響でアメリカは金融危機に見舞われる。

 

モルガンは政府の要請を受け投資家の引受団を結成し、莫大な財産を利用し、アメリカ経済を救済することに成功。

モルガン自身も莫大な利益を得る。

 

1900年代前半

競争を抑え、安定と収益を優先させるため、北西部の鉄道事業を一手に引き受ける大企業ノーザン・セキュリティーズ・コーポレイションを設立。モルガンはノーザン・セキュリティーズ社という自分の企業を通して鉄道会社を統合させること、そして海運業界のトラスト(企業の一体化)を構築することに没頭した。

 

1907年

金融恐慌がウォール街を襲う。

 

再びモルガンがアメリカ経済を救済。

 

1907年

70歳代になったモルガンは、次第に多くの時間を割いて趣味の美術品収集に没頭し、自分の私生活に集中するようになった。

 

1913年

76歳で死去。


 参考文献

「アメリカン・ドリームの軌跡」HW・ブランズ著 英治出版

参考URL

 http://diamond.jp/articles/-/6237?page=2