1891年

ロシア、ウズリアンで誕生。

 

1896年

アメリカに渡るが、父親が病気になってしまい、家族を養うために幼いころから働き始める。

 

1900年~

新聞売り、新聞配達、近所の商店の手伝いなどでお金を稼ぐ。

 

その後、稼いだお金を元手にニューススタンドを購入し、店番を務めた。

 

1906年

新聞の小売に携わっていたこともあり、新聞社に就職の面接に行くが、間違えて、同じビルの別会社コマーシャル・ケーブル・カンパニーを訪れ、そこで電報配達として雇われる。

 

就職後、電報の送受信について独学で学び始め、その後、別会社アメリカ・マルコーニ無線通信社に移る。

 

1906年

アメリカ・マルコーニの給仕として働き始め、そこで取り扱う通信文や契約書を読み込み、自分の働く会社の事業について学ぶ。

 

その後、電信技士に昇進。

 

1912年

タイタニック号沈没の無線をサーノフが受け、対応にあたった。このタイタニック号の事件がきっかけで船舶における通信技術が重要視され、贅沢品だったラジオが必需品となる。

 

1914年

第一次世界大戦で無線通信がより重要視されたこともあり、アメリカ海軍が無線の発達に不可欠な最新技術を開発する企業RCA1919年に設立。サーノフはここに移る。

 

1921年

ボクシングの世界タイトルマッチをラジオで放送。

 

当時、一般的な人の多くはラジオを持っていなかったため、劇場や行動に大衆向けのラジオを設置し、20万人以上が聴取(ちょうしゅ)

 

1926年

ボクシング中継の影響もあり、ラジオが爆発的に売れ始め、1926年には売上高が27千万ドルにも及んだ。RCAは早くからラジオに目をつけていたこともあり、市場の大部分を独占。

 

1926年 

ラジオの全国放送を実現するために全国規模のラジオネットワーク作り、その役割を担う会社としてNBCを設立。

 

1927年

NBCが放送業務を開始。翌年には全米放送を実現させる。

 

ワーナー・ブラザーズ(映画会社)が無声映画に音声を加えたことをきっかけにサーノフは映画業界に進出。 共同で映画スタジオRKOを設立。またRCA・ビクターを設立し、レコード業界へも進出。

 

1930年

RCAの社長に就任。

 

1932年にそれまでRCAGEという会社の子会社であったが、独立。

 

1939年

ニューヨークで開かれた世界博覧においてテレビという新しいメディアについて提唱。

 

1954年

カラーテレビを発表

 

1960年代前半 カラー放送の番組が増え、カラーの受像機の需要も急上昇。

 

1962年

売り上げが20億ドルを突破。

 

その後、1965年に事業を息子に譲って引退。

 

1971年

死去。

 


 参考文献

「アメリカン・ドリームの軌跡」HW・ブランズ著 英治出版

参考URL

http://diamond.jp/articles/-/7315