1842年

足で稼ぐをモットーにしていた近江(おうみ)商人の家で生まれる。

 

1853年

忠兵衛が11歳の時、兄の商いに同行する。

楽々と売りさばく兄にくらべて忠兵衛は全然売ることができず、商売の難しさを知る。

 

1858年

いよいよ本格的に、出張しながら物を売るという持ち下り商いを始める。

 

伯父の資金を借りて入りいろいろなところに出向き、九州の「栄九講(えいきゅうこう」という同業者組合に新参者としていれてもらう。

 

1862年

忠兵衛は関東(かんとう)呉服(ごふく の取り扱いを加える。

 

1866年

忠兵衛は製糸技術を伝えるため産業開発も始める。

 

1875年

忠兵衛が30歳のころ、商い業を長男の長兵衛に譲り、大阪に呉服、太物店「紅忠」を開く。

そのころ明治政権の中央集権国家が実現。

持ち下り商いは無くなり、お店で売るという定着化が始まった。

 

忠兵衛は周りより先に動いていた。

 

1884年

英国やドイツとの海外貿易を開始したり、大阪ではあまり取り扱っていなかった関東織物を大量に仕入れ京物とともに売りさばいたり数々の斬新な経営手法を打ち出し、成功させた。

 

1886年

二代目忠兵衛となる息子が生まれる。

 

1902年

二代目忠兵衛が16歳の時、事業を継承させる。

 

そして、父が創業した呉服事業を発展させ、後の「丸紅」「伊藤忠商事」という事業の基礎を築いた。

 


 参考文献

http://rekishi-club.com/?p=489

(歴史の実像に迫る 歴史くらぶ 伊藤忠兵衛ページ)