1886年

ジョン・ペンバードンが健康食品としてコカ・コーラを開発、米国特許局より独占的に製造、販売する許可を得る。

 

その後、ジョン・ペンバードンが健康を害し、コカ・コーラ社の所有権はエイサーキャンドラーの手に渡る。以来30年彼によってコカ・コーラは積極的に販売され全国的に名を知られるようになる。

 

1916年

キャンドラーは政治の世界に足を踏み入れ、コカコーラ社の所有権を息子たちに譲る。

 

1919年

キャンドラーの息子たちがコカコーラ社を売りに出し、アーネスト・ウッドラフとパートナーたちが買収。アーネスト・ウッドラフがコカ・コーラの社長に就任。

 

1889年

ロバート・ウッドラフはアーネスト・ウッドラフの息子でアメリカ、ジョージア州で誕生。

 

学生時代ロバートは父親の金で飲み歩き、他人にお金を払って宿題をやってもらっていた。

 

1910年代前半

だらしない生活が原因で父親と衝突し、鋳物(いもの)工場(こうじょう)で働き始める。

 

その後、セールスの仕事を始め、営業の才能を開花させホワイト・モーターズでトラックを売る仕事に就く。

 

1916年

ホワイト・モーターズの南東地域販売責任者に昇進。

 

1921年

ホワイト・モーターズの副社長に昇進。

 

1923年

父親のアーネスト・ウッドラフがホワイトモーターズでの活躍を評価し息子をコカコーラ社の社長に向かへ入れる。

 

1924年

社長に就任するとまず、幹線道路沿いの広告看板を買い取りまくり、コカ・コーラを宣伝。

また、アメリカ中にコカ・コーラの名を広めるためにコカ・コーラの商標をあしらった品を大量に生産し、全国にばらまいた。

 

1930年代

ペプシ・コーラ社がコカコーラ社に対抗するために低価格のコーラを売り出す。

 

1940年代

戦争中、兵士たちのもとにコカ・コーラが届けられ、その需要が供給を上回り、コカ・コーラの人気が急上昇する。

 

戦争終結後コカコーラ社は海外市場の規模を拡大、他社を大きく引き離す。

 

1950年代初頭

海外での売り上げが全体の4分の1を占めるようになる。

 

1950年代半ば

92の国と地域に工場を持ち後に国連の加盟国よりも多い185か国で販売されるようになり、「OK」を除けば「コカ・コーラ」は世界中で最も知られた言葉であるといわれるようにまでなる。

 

1984年

取締役を引退。

 

1985年

95歳で死去。

 

 


 参考文献

「アメリカン・ドリームの軌跡」HW・ブランズ著 英治出版

参考URL

http://diamond.jp/articles/-/3779?page=3