1874

誕生。

 

1891年 

第一高等中学校、東京帝大電気工学科(大学)にも進学するが学業に熱心に取り組まなかった。

 

1900年 

大学を卒業すると藤田組に入社し、小坂(こさか)鉱山(こうざん)電気(でんき)技師(ぎし)(電気関係が専門の技術者)として秋田に赴任する。そこで発電所の魅力に気づく。

 

1902年 

鉱山での最初の仕事は発電所建設。それが完成したこの年に小坂鉱山を辞める。

 

1904年 

浪平は広島に移り念願だった東京電灯に送電主任として入社し、発電所の研究に力を注ぐが、当時は発電機、変圧器(へんあつき)、水車すべて外国製のもので、外人技師の指導の下で行わなければならなかった。

小平浪平はその現状にがっかりし、日本の技術発展に寄与する志しを固めた。

 

1906年 

その意志から日立鉱山に赴任(ふにん)(仕事をする場所へ行くこと)した。

そこで自分が機器の製作にも取り組むうち、独立を決意して久原(くはら)鉱業所(こうぎょうじょ)日立(ひたち)鉱山(こうざん)付属(ふぞく)の修理工場を発足する。

 

これがのちの日立製作所となる。

 

1910年 

日立製作所での研究で部下に支えられ、協力しながら自分たちの手で設計を行いながら電動機を発明した。

 

1920年 

日立製作所を株式会社化して独立した。

 

1924年 

国産初の電気機関車を完成、翌年には扇風機を米国に輸出させることに成功。

 

1927年 

電気冷蔵庫の開発に成功。

 

1951年 

死去。

 


 参考文献

日外アソシエーツ[2010]『近現代起業家人名辞典』日外アソシエーツ。