1894

 豊田佐吉の長男であり父譲りの発明狂であった。

 

1920

東京帝国大学工学部機械科を卒業後、豊田紡織に入社。

 

1921

10か月間の欧米視察に出発。

 

英国では世界有数の織機メーカーであったプラット社で研修を行う。

 

1929

再び欧米に出張し、その際、欧米の自動車事情を知る。

 

1930

帰国後に父が死亡。その遺志を引き継ぎ国産乗用車の製造事業を起こすため、社内に自動車研究所を置く。

 

1933

本格的に自動車製造に着手し試作自動車、トラックを開発。

 

1934

初の量産型自動車であるAA型自動車を発明。

 

1937

同部を独立させてトヨタ自動車工業を設立する。

 

1938

愛知県挙母市に自動車専用工場を建設。

 

1939

大衆中型自動車を開発して旧満州などを中心に400台を生産し、欧米に肩を並べるための徹底した合理化、効率化を進めるなど、国産乗用車が活発に使われるようにするために力を尽くす。

 

1941

常務を経て社長に就任。

 

1942

戦時下に入り軍部の要請によりトラック生産を主とせざるを得なくなり、当初の目的を果たせなくなる。

 

1945

戦後、GHQのトラック生産再開を機に再起を図る。

 

1949

再び乗用車の時代が来ることを期して、小型乗用車の生産を開始。

 

1950

前例のない経営危機と労働争議のために豊田織機の石田退三に社長を譲って(ゆず  )退陣(たいじん)

 

1952

争議が一段落したため社長に復帰するが病気により急死。

 


参考文献

日外アソシエーツ[2010]『近現代起業家人名辞典』日外アソシエーツ。