1894年 

裕福な家庭の末っ子の三男として誕生。

 

1898年 

父が米相場に失敗し、家庭の財産が傾く。

 

1904年 

苦しい家計を助けるため、9歳で小学校を中退。

 

単身で大阪にて、火鉢店(ひばちてん)丁稚(でっち)奉公(ぼうこう)(小さいころから商人の弟子として働き始めること)となる。

 

1905年 

船場の五大自動車商会に奉公(商人の下で働くこと)。

 

1907年 

初めて一人で車を販売。商売には真剣さ誠意が必要だと実感する。

 

1910年 

大阪電灯株式会社に見習(みならい)(こう)として入社。一方で勉学にも励む

 

1917年 

自ら考案した改良ソケットが「松下式ソケット」として実用新案登録される。

 

大阪電灯を退社し独立。ソケット製造を開始する。

 

1918年 

事業が軌道に乗り始め、松下電気器具製作所を設立。

 

1923年 

この間にも様々な製品を発明・販売しており、自転車用電池ランプがヒットする。

 

1926年 

「ナショナル」の商標権(しょうひょうけん)(自社の取り扱う商品やサービスを他人(他社)のものと区別するために使用するマーク)を取得する。

 

1929年 

松下(まつした)電器(でんき)製作所(せいさくしょ)に社名を変更とともに、会社の経営方針を示す。

 

1933年 

自主経営精神の徹底をめざし、社員の教育や福祉にも力を注いだ。

 

1935年 

松下電器産業株式会社に改組(かいそ)(もともとあった組織を改めて構成すること)して社長に就任。

 

1945年 

戦後は各製造所の生産体制を再び編制して、いち早く民間の需要にこたえるため、会社の立て直しを図るが、自身の公職(こうしょく)追放(ついほう)財閥(ざいばつ)指定などを受け危機におちいる。

 

松下電器産業、ナショナル、を統合し「パナソニック」というブランド名にする。 

 

1947年 

自身の公職追放が解け、2年後には財閥指定が解除される。

 

1950年 

事業部制を復活させアメリカを視察し、アメリカの企業との提携、等、次々と新しいアイディアを打ち出して巻き返した。

 

1956年 

電気ブームを盛んにし、現状220億円の売り上げを800億円まで高める五カ年計画を発表。

 

全国各地にナショナル製品販売会社の情報網を整備し、体制を整えた。結果は大発展で、松下王国を築いた。

 

1985年 

様々な会長、理事長を歴任し「事業を伸ばし人を育てる」という独自の経営方針を徹底し、経営の神様といわれるようになった。