1882年

アメリカ、ニューヨークで誕生。

 

1899年

17歳の時に母親が死去、世間に出て生活費を稼ぐために働き始める。

 

地元の生地屋の配達人として働き始め、その後、生地を売り歩く巡回セールスマンに。

 

1900年代前半

より多くの収入を得るために新たな仕事を求めて西部に渡り、スポーケンという町の金物店マガウアン・ブラザース社で働き始める。

 

1914年頃

収入が安定し、金物店で働く間に建築業界にも精通したカイザーは自分で事業を起こそうと決心し、道路(どうろ)舗装(ほそう)事業(じぎょう)に参入。

 

1920年代前半

ハイウェイ(幹線道路、高速道路)の建設に部分的に携わる。

カイザーは標準の倍の速度で工事を進め、その効率の良さ、品質の高さが評判になる。

 

1920年代後半

堤防建設やガス輸送管建設事業にも手を広げる。

最新テクノロジーの導入、大型建設機械の開発者を雇い入れ、大型機械を開発するなどし、他社と差をつけ事業を拡大。

 

1927年

キューバでの大規模なハイウェイ建設に着手。

 

その後、工事を完成させ、大きな利益を得る。

 

1930年代前半

巨大なダム建設の事業に他社と共同で着手。

1936年に予定よりも二年早く工事を完成させ、高い評価を得ることに成功。

 

1930年代後半

史上最大級のダム建設に着手。

工事の主導権を握り、予定より一年半早く工事を完成させ、これによりカイザーのグループは西部の大手建設業者として名声を得る。

 

1939年頃

セメント製造の経験はなかったが、セメント業の仕事を無理やり受注し、セメント業へも進出。

 

1940年

第二次世界大戦の影響でイギリス内の物資供給のための商船が不足するとイギリス政府が過去の経歴からカイザーに至急貨物船を数十隻作るように注文。カイザーは造船の経験はなかったが、その仕事を引き受ける。新事業へ素早く適応、学習する才能に優れていたカイザーはすぐに貨物船を作り上げることに成功。

 

1943年頃 

世界大戦が激化するとアメリカ政府からも造船を求められるようになる。造船作業の中心地を二つに分け、競わせるようにして作業させ、標準よりも大幅に早い期間で船を造り続けることに成功。

 

戦時中にカイザーは1490隻の船を作り上げ、莫大な利益をあげ、その名を世界に知らしめた。

 

1950年前後

戦後、事業の多角化を目指したカイザーは製鉄事業、アルミニウム事業にも参入し、規模を拡大。

 

特にアルミニウム事業は1950年の朝鮮戦争で需要が高まったこともあり、売り上げは増大。

 

1950年代後半

自動車産業、ハワイの観光地開発にも着手。

 

自動車産業については大した成功は収められなかったが、ハワイでは、多くのリゾート地の開発を行う。

 

1967年

死去。


 参考文献

「アメリカン・ドリームの軌跡」HW・ブランズ著 英治出版