1839年
アメリカ、ニューヨーク州リッチフォードで誕生。
1853年
オハイオ州クリーブランドに転居。ロックフェラーはクリーブランドにある高校に通い、数学、音楽、ディベートで良い成績を残す。
1854年頃
卒業後、就職に備えて地元の商業大学で、簿記の短期ビジネスコースを受講。
1855年
簿記係として初めてフルタイムの仕事に就く。
ビジネスについてあらゆることを吸収しようと努力。
1859年
共同で製造委託会社を設立。ロックフェラーは数字に強く、利益を上げる判断力にも長けており、ビジネスは開始後すぐに成功を収める。
1861年
南北戦争を通して、会社は繁盛。
会社は戦争中に石油を扱うようになる。
1863年
新会社を共同で設立。
「灯油」という当時新しい種類のランプ用燃料のことを知り、その新燃料に目をつける。
1865年
経営は順調で、さらなる事業拡大を目指し、資金調達のために経費を削減。
野心的なロックフェラーと共同経営者の間で意見が分かれ、社内は分裂し、ロックフェラーが会社を買い取り、新しくロックフェラー&アンドリュース社を設立。
1870年
当時、アメリカ国内で精製技術がたやすく精製業への参入が簡単だったために製油所が次々に建設された。ロックフェラーはこの状況をもっと効率的で利益を出すものに改善するためにロックフェラー&アンドリュース社をスタンダード・オイル社に改組。
1870年代
ロックフェラーの指揮のもと会社は発展。
その後、ロックフェラーは大手精製業者でカルテル(他社と協力すること)を結成し、市場を分割することで多くの小規模精製業者に打撃を与え、価格を引き上げる計画を打ち出し、実行しようとするが、生産者らの反発を受け、結果的に計画を中止。
1872年~
石油業界を合理化する目的で精製業者を取りまとめるために、他社の買収に専念。
1870年代中盤
精製のプロセスを完成させ、それぞれの段階における非効率な点を徹底的に排除し、作業を効率化。また、ロックフェラーは従業員を平等に手厚く扱う経営を心掛けた。これによって、ストライキがおこることはほとんどなかった。
1870年代末
スタンダード社はアメリカの石油精製業界の90パーセント以上を独占。
1877年
スタンダード社が輸送分野にまで影響を及ぼしてきたのを懸念してペンシルベニア鉄道会社がスタンダード社に対抗する計画を実行するも、ロックフェラーは、灯油価格を引き下げるなどして対抗し、計画を失敗させることに成功。
その後、スタンダード社の国内売り上げ、海外輸出量は増加。
1882年
スタンダード・オイルは、数百種に及ぶ石油製品を製造。1880年代、世界のオイルの約90%にあたる量の精製を手がけ、1882年には、各州に分散していた会社の経営を一手にまとめるために、スタンダード・オイル・トラストを設立。
1890年
シャーマン法によりトラスト(企業の一体化)が違法とされ、スタンダードトラストは解散。
その後1902年にロックフェラーは引退。
慈善活動に専念する。
1937年
97歳で死去。
参考文献
「アメリカン・ドリームの軌跡」H・W・ブランズ著 英治出版
参考URL
http://money-academy.jp/lockfera5566/