1863年

アメリカミシガン州ディアボーンで誕生。

 

10代になると父から懐中時計を与えられ、15歳の頃には近所の人たちの時計を何度も分解・組み立てし、時計修理がうまいという評判を得ていた。

 

1875年

12歳の時に当時、馬車が主流であったが町でロード・エンジンを使用した荷車を見かけ、強く興味を示した。

 

1879年

高校を中退して家を離れ、デトロイトにて見習い機械工として就職。

 

その後、船舶の製造、修理を手掛ける会社に移る。

 

1882年

実家に戻り、蒸気機関の操作に熟達。

 

その後、蒸気機関の修理工として雇われる。

 

1891年

エジソン照明会社の技術者となる。

 

1893年

チーフ・エンジニアに昇進し、内燃機関の個人的な実験に十分な時間と金銭を費やすことが出来るようになる。

 

ドイツでガソリン車が開発され、これにヘンリー・フォードは触発され、革新的なエンジンを開発する

 

1896年

自作4輪自動車を製作し、初走行させ成功。

  

1898年

エジソン照明会社を辞め、翌年デトロイト自動車会社を創業。

 

しかし、生産した自動車は低品質で高価格だったため、1901年に解散。

 

1901年

ヘンリー・フォードカンパニーを設立。

 チーフ・エンジニアとして働くが、会社の出資者と意見が合わず、会社を去る。

 

その後、新会社フォード・モーター・カンパニーを設立。

 

1908年

大衆車製造に力を入れる決心をし、1908年にT型フォードを発表。低価格で運転も単純であり、修理も容易で安価であった。北米のほとんどの都市に販売店を設け、売り上げは急増。

 

1913年

需要に応えるために最新式の自動車工場を建設、組み立て作業による新しい生産方法を採用し、一日当たり2000台もの車を生産できるようになる。

 

翌年にはフォード社は248千台を売り、アメリカ全土の自動車市場の47パーセントを獲得。

 

1914年

単調労働による離職者増加問題への対応策として、労働時間8時間厳守、基本給一日5ドル制を導入。(当時の標準労総時間910時間、平均基本給は11ドル8セント~2ドル50セントであった。)

 

1918年

アメリカで保有される自動車の半分はT型フォードとなる。

 

同年、社長職を息子に譲る。

 

1926年

他社の革新的な車の台頭によりT型車の売り上げは次第に低下。

 

その後、A型車を発表するも、大恐慌の影響により、T型車ほどの収益は得られなかった。

 

1947年

83歳で脳内出血により死去。


 参考文献

「アメリカン・ドリームの軌跡」HW・ブランズ著 英治出版

参考URL

http://iyashitour.com/archives/26511