1899年
養蚕、水引問屋を営んでおり七兄弟の三男として生まれる
1921年
医師だった父を目指し22歳のとき京都帝国大学医学部に進む。
病気にかからないようにする予防医学と、胃液などに強く病原菌を退治する生きた菌を見つけ出すことを研究の目的とする。
1930年
ラクトバチルス属の乳酸菌の一種・ガゼイ菌の強化・栽培に成功、シロタ株と命名。これがのちのヤクルト菌。
そのシロタ株をおいしく腸に送り込む製品開発に専念する。当時はヨーグルトなどはあったが乳酸菌は胃液で消されてしまい腸まで届くものはなかった。
1935年
あまみのあって飲みやすい乳酸菌飲料を開発、販売を行う。
エスペラント語でヨーグルトを意味するヤフルトをもじり、「ヤクルト」を商品名とした。
ヤクルトを発明したころ、スーパーマーケットもラジオもなく、知ってもらう方法を考えていた。最初は牛乳販売店に依頼し、牛乳と一緒に配ってもらうというアイディアはうまくいかなかった。
1940年
代田保護菌普及会をつくり全国に展開させた。当時はビンでの販売であったため、高価でもあり瓶を回収しなければいけないという手間もかかっていた。戦時中は男性が戦地で戦っていたため、当時のアルバイトとして女性がヤクルトを配る傾向があり、そこからヤクルトレディが誕生した。
1955年
ヤクルト本社設立に際して会長兼研究所長に就任。