1911年
福岡県の門司(現在の北九州市)で創業する。
神戸の資産家、日田重太郎から資金提供を受ける。
当時の名前は出光商会。
1919年
南満州鉄道に対して、車軸油(車輪の軸の動きをよくする油)を納入する事に成功する。
この車軸油は満洲の冷たい気候でも凍らない優れた商品だった。
1920年
この頃から台湾、朝鮮へ販路を広げる。
その15年後には中国大陸にも進出した。
1937年
創設者の出光佐三が高額納税者として貴族院議員になる。
1940年
現在まで続く、「出光興産株式会社」を設立する。
1942年
100名程の人員のみで南方での石油配給を始め、成功する。
1945年
終戦によって行っていた事業と海外の資産が無くなる。
佐三は海外から戻ってきた従業員を1人も解雇しない事を宣言。「愚痴をやめて復興に取り掛かろう」と社内に呼びかける。
1946年
ラジオの修理や農林漁業など、様々な事業に取り組む。
1947年
石油配給公団の立ち上げにより、出光も石油業を再開する。
対抗勢力の妨害を受けるも、GHQによって業界への復帰が認められた。
1949年
石油配給公団の廃止により、元売業者(原油を精製し、石油製品として売り出す会社)に認定される。
メジャーの傘下に入っていない唯一の企業だった。
1953年
日章丸事件が発生。イランからガソリンや軽油を買い付ける。
イギリスのメジャー相手に勝訴し、多くの日本人を勇気づけた。
1957年
山口県徳山市に、徳山製油所を建設する。
6年後の1963年には昭和天皇が視察に訪れた。
1959年
政府から要請を受け、ソ連石油の輸入に携わる。
1963年
国による石油の生産調整に反発し、石油連盟を脱退する。
1971年
石油の自給率を上げる事を目指して、石油開発を開始する。
その後、日本各地の油田の生産をスタートした。
1973年
中国の大慶原油の輸入に成功。日中関係の向上に貢献する。
1974年
ロンドンに事務所を解説。
その後もシンガポール、リオデジャネイロに進出した。
1981年
佐三が亡くなる。弟の出光計助が社長に就任。
参考文献
http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/sp_index.html
(出光ホームページ 歴史ページ)