1910年
日本統治下の台湾で生まれる。
1932年
大坂に進出して集荷・問屋業の日東商会を設立。
軍用機の部品工場などはば広く手掛けたが、戦争で使う軍用機の横流しの疑いで検挙。拷問を受けるなどのつらい経験をした。
1946年
泉大津市で製塩業を始める。
1948年
中交総社を設立して、貿易業や食品販売に従事。
戦後は中華民国国籍を取得し日本の財産税の対象から外れていたため、脱税容疑で逮捕。(のち、日本国籍取得。)また、理事長に就任した信用組合が倒産。
倒産直後から自宅に研究室を設けて、熱湯をかければすぐ食べられる即席めんの開発を始める。
1958年
48歳の時に世界初の即席めん「チキンラーメン」を開発。同年、中交総社の名前を「日清食品」に変更。
1971年
チキンラーメンの大ヒットで業績を伸ばし、器が無くても食べられる世界初のカップ麺「カップヌードル」を開発した。
1985年
次男に社長職を渡し会長に就任。
2005年
開発を指示した宇宙食ラーメン「スペース・ラム」が実際にスペースシャトルに持ち込まれる。このころには年間857億食が消費される。
2006年
96 歳で死去。